ギル・バロン
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ギーディル・エヴァンス・バロン(Gheedill Evans Ballon、1976年6月14日-)は、アメリカ・オクラホマ州オクラホマシティ生まれのプロ野球選手。宮崎ファイターズ所属。ポジションは外野手。左投げ左打ち。背番号は50。『ギル』は愛称。
アレックス・オチョアや新庄剛志を彷彿とさせる『レーザービーム』と称される強肩の持ち主。
千葉ロッテマリーンズのフリオ・ズレータに似たバッティングフォームをとる。
現在 | 現役選手 |
所属球団 | 宮崎ファイターズ |
国籍 | アメリカ |
出身地 | オクラホマ州オクラホマシティ |
生年月日 | 1976年6月14日(33歳) |
身長 | 188p |
体重 | 92s |
血液型 | B型 |
守備位置 | 外野手 |
投球・打席 | 左投げ左打ち |
プロ入り年度 | 1993年 |
ドラフト順位 | 1巡目 |
背番号 | 50 |
英語表記 | BALLON |
年俸 | 1億7000万円(推定) |
経歴
◆ オクラホマ高 - シカゴ・ホワイトソックス(1993年 - 1999年) - フィラデルフィア・フィリーズ(2000年 - 2001年) - シンシナティ・レッズ(2002年 - 2004年) - 宮崎(2005年 - )
略歴
◆ 2004年オフ - 打撃力アップの為、白羽の矢を立てられ来日。宮崎ファイターズに入団。
◆ 2005年 -
◆ 2006年 -
◆ 2007年 - シーズン終盤の9月、走塁中に右アキレス腱を断裂。全治3ヶ月と2週間の重症であった。この大怪我は後にバロンを大きく苦しめることとなる。
◆ 2008年 - アキレス腱が回復し、調子は順調かと思われた2008年シーズンであったが、監督に本人から思わぬ言葉が告げられた。それは『もう僕は昔のように速くは走れない。肩はまだ丈夫だけど、守備も下手くそになってしまった。筋力だって落ちた。もう前のようにホームランを沢山打つことはできない。』これを聞いた森野監督は『ファイターズのライトはお前しかいない、そんな意気地なしでどうする。ファイターズのライトはバロンにしかできないことを証明してみせろ。』と叱咤激励。これに心を打たれたバロンは怪我の後遺症が残る身体で全試合に出場。
エピソード
◆ 前述のとおり、レーザービームと呼ばれる強肩の持ち主である。
◆ チームメイトのキャッチャー・高嶋は『ボールが転がらない、常にダイレクト』とその強肩を評価していた。
◆ 家族構成は嫁と息子と娘。大変家族思いで、家族が来日したときは父親の顔を見せる。
◆ 背番号は20と30を足して50だという。目標ホームラン数でもある。
◆ 怪我をしてから野球に対する見方が変わってきた。『野球は気合でやるんだ。』という言葉が多く聞ける。
背番号
◆ 20(1993年〜1999年)
◆ 30(2000年〜2004年)
◆ 50(2005年〜)
年度別打撃成績
年度 | 球団 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
1993年 | ホワイトソックス | 0 | 7 | 6 | .267 |
1994年 | 0 | 13 | 11 | .292 | |
1995年 | 3 | 27 | 16 | .280 | |
1996年 | 8 | 48 | 12 | .288 | |
1997年 | 14 | 55 | 9 | .299 | |
1998年 | 17 | 64 | 12 | .277 | |
1999年 | 2 | 11 | 17 | .199 | |
2000年 | フィリーズ | 15 | 72 | 8 | .278 |
2001年 | 5 | 34 | 10 | .257 | |
2002年 | レッズ | 18 | 77 | 5 | .294 |
2003年 | 23 | 86 | 3 | .298 | |
2004年 | 16 | 70 | 2 | .280 | |
2005年 | 宮崎 | 33 | 102 | 3 | .313 |
2006年 | 29 | 96 | 1 | .280 | |
2007年 | 18 | 77 | 0 | .266 | |
2008年 | 24 | 88 | 0 | .278 | |
2009年 |
※ 表中の太字はリーグ最高記録。
タイトル
スパイラル・リーグ |
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