初野之宏
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初野之宏(はつの ゆきひろ、1979年7月27日-)は、富山県魚津市生まれのプロ野球選手。宮崎ファイターズ所属。
ポジションは内野手(三塁手、一塁手、二塁手)。右投げ左打ち。背番号は8。
内野ならほぼ守れるユーティリティープレイヤー。ただ守備はあまり得意ではない。
豪快なフルスイングが持ち味。
現在 | 現役選手 |
所属球団 | 宮崎ファイターズ |
国籍 | 日本 |
出身地 | 富山県魚津市 |
生年月日 | 1980年7月27日(29歳) |
身長 | 184p |
体重 | 83s |
血液型 | A型 |
守備位置 | 三塁手、一塁手、二塁手 |
投球・打席 | 右投げ左打ち |
プロ入り年度 | 2001年 |
ドラフト順位 | 2巡目 |
背番号 | 8 |
英語表記 | HATSUNO |
年俸 | 1億280万円(推定) |
初出場 | 2001年4月10日 |
経歴
◆ 魚津高 - 専修大 - 川島(2001年 - 2006年) - 宮崎(2007年 - )
略歴
◆ 1995年 - 魚津高の4番でエースとして県大会に出場するも、初戦で敗退。
◆ 2000年12月1日 - ドラフト2巡目で川島レッズに2位指名され投手として入団。
◆ 2001年 - 3試合に先発として登板するが、いずれも黒星がつき、そのままシーズンを終える。0勝3敗、防御率10.2だった。
◆ 2001年オフ - コーチから野手転向を打診され、これを受諾。これが後に大きな成功へと繋がる。
◆ 2002年 - 野手転向1年目にして、ホームラン37本で本塁打王、打点114で打点王を獲得し、二冠に輝く。
◆ 2006年 - 未だかつて無い打撃不振に陥ってしまい、シーズンの後半を2軍で過ごすこととなってしまった。
◆ 2006年オフ - 秋季キャンプでコーチと打撃改造に取り組み、来季への奮起を誓っていた矢先の11月、益子友哉選手との交換トレードで宮崎ファイターズに移籍することとなった。
◆ 2007年 - 打撃改造の結果、新天地のファイターズで、打率.300、ホームラン32本、打点102点と、3割30本100打点を達成。
エピソード
◆ もともと投手だった。高校時代は4番でエースとして活躍した。
◆ 高校時代、打撃はそれほど得意ではなかったが、何故4番になったかというと『1番背が高くて腕相撲が強かったから。』
◆ 投球フォームは、元・千葉ロッテマリーンズ(現・インディアンス)の小林雅英投手にそっくりであった。
そのため、高校の野球部の監督に「随分と渋い投げ方をする投手だな」と思われたことからベテランの味、略して『ベテ味』と呼ばれていた。
◆ 投手を辞めた理由は『ノーコンだから』
◆ 投手時代の初野は、いわゆる『ノーコン剛速球ピッチャー』だったらしい。
◆ 無尽蔵のスタミナであり、200球投げても顔色一つ変えなかった。
◆ 俊足である。前述の通りスタミナもあるのでマラソン大会などの陸上競技では常にトップだった。
野球が無理だとしたら陸上選手になろうと思っていた程である。
◆ 高校時代の初野は、4番でエースでノーコンで豪腕で俊足で守備が下手で無尽蔵のスタミナを持つという、かなり変わった選手であった。
◆ 守備は基本、苦手なので指名打者での出場が多い。
◆ フルスイングが信条。オープンスタンスから思いっきり引っ張る豪快なバッティングが魅力。
背番号
◆ 30(2001年)
◆ 57(2002年)
◆ 8(2003年〜)
年度別打撃成績
年度 | 球団 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
2002年 | 川島 | .333 | 37 | 114 | 2 |
2003年 | .298 | 24 | 86 | 0 | |
2004年 | .280 | 26 | 90 | 0 | |
2005年 | .288 | 21 | 78 | 0 | |
2006年 | .196 | 0 | 2 | 0 | |
2007年 | 宮崎 | .300 | 32 | 102 | 1 |
2008年 | .287 | 24 | 80 | 0 | |
2009年 |
※ 表中太字はリーグ最高記録
タイトル
◆ 本塁打王:1回(2002年)
◆ 打点王:1回(2002年)
スパイラル・リーグ |
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