平川龍明
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平川龍明(ひらかわ たつあき、1983年7月26日-)は、山梨県富士吉田市生まれのプロ野球選手。宮崎ファイターズ所属。
ポジションは外野手。右投げ右打ち。背番号は53。
俊足と強肩が光る外野守備が持ち味。
現在 | 現役選手 |
所属球団 | 宮崎ファイターズ |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県富士吉田市 |
生年月日 | 1983年7月26日(26歳) |
身長 | 164p |
体重 | 53s |
血液型 | A型 |
守備位置 | 外野手 |
投球・打席 | 右投げ右打ち |
プロ入り年度 | 2005年 |
ドラフト順位 | 4巡目 |
背番号 | 53 |
英語表記 | HIRAKAWA |
年俸 | 1200万円(推定) |
経歴
◆ 富士北稜高 - 山梨学院大 - 広島(2005年 - 2006年) - 松戸(2007年) - 宮崎(2008年 - )
略歴
◆ 2004年11月 - ドラフト4巡目で広島東洋カープに4位指名され入団。
◆ 2005年 - 俊足を生かして守備走塁要員で春先は出番があったが、極度の打撃不振で5月上旬には1軍登録を抹消。そのままシーズンを終える。
◆ 2006年 - 前年同様、打撃が全く奮わず、打撃コーチに『中学生の方がもっと良いバッティングをする。(打撃は)中学生以下だ。』と酷評されてしまった。シーズンの大半を2軍で過ごし、シーズン終了を待たずに戦力外通告。
◆ 2006年12月 - トライアウトを経て新規参入球団の千葉松戸ブルーレインズに移籍。
◆ 2007年 - シーズン序盤から主に下位打線で出番が増え始める。持ち味の守備走塁を生かしてチームに貢献した。この年、プロ初ホームランも放った。
◆ 2007年9月27日 - この前日、猛打賞を放ったが、この日はスタメン落ち。納得のいかない平川は監督に抗議。しかしあっさりと話を受け流す監督の態度に激怒し、口論に。これがきっかけで謹慎処分を受け、1軍登録を抹消。
◆ 2007年11月 - 前述の事件のせいでフロントに嫌われた平川はクビを切られ、自由契約選手公示されてしまう。
◆ 2007年12月 - 当時、守備走塁要員が欲しかった宮崎ファイターズと契約し、現役続行。
◆ 2008年 - 打撃は十分強力だったファイターズのチーム事情によってスタメン起用はほぼなくなってしまった。しかし、勝俣宏徳と共に守備走塁要員として試合終盤にこぞって起用された。
エピソード
◆ 前のめり気味に走る、独特の走り方をする。
◆ 短距離走が得意。
◆ 非常に小柄である。軽いフットワークが持ち味だが、反面、打撃面でも非力さが出てしまっている。
◆ 変化球が大の苦手。特に直球とカーブのような緩急を付けたピッチングをされると手も足も出なくなってしまう。
◆ ボールを見極めやすくする為に2007年からオープンスタンス打法に変えている。
◆ 歌が上手い。一時期は歌手を目指していたこともあるほど。
◆ 学生時代の音楽の成績はほぼ完璧だったらしい。
◆ レインズをクビになったとき、もう野球は辞めようと本気で悩んだが、当時チームメイトだった辻野毅に諭され、トライアウト参加を決意した。平川は『辻野さんがあの時言葉をかけてくれなかったら今の自分はなかった。』と辻野を敬っている。
◆ 好きな言葉は『絶対に諦めるな。』辻野が平川にかけた言葉である。
背番号
◆ 48(2005年〜2006年)
◆ 53(2007年〜)
年度別打撃成績
年度 | 球団 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
2005年 | 広島 | 0 | 1 | 3 | .074 |
2006年 | 0 | 0 | 1 | .047 | |
2007年 | 松戸 | 2 | 26 | 18 | .267 |
2008年 | 宮崎 | 0 | 11 | 17 | .247 |
2009年 |
※ 表中の太字はリーグ最高記録。
タイトル
スパイラル・リーグ |
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